Filed under スピリチュアル
エサレンへ向かうmさんがこの地域を通過されるのです。いつかチャンスがあればお会いしてみたい方のひとりであったので、ぜひ遊んでください!と図々しくもお願いしておいたのだが、mさんのメッセージの中にミュージシャンの吉本有里さんというお名前が登場した。聞き覚えのあるお名前だったのだが、mさんつながりで調べてみたら、SNS経由で前にサイトにお邪魔したことのある方でした。再び御縁で訪れた吉本有里さんのblogの記事のひとつを読んで、その記事の内容にすごく共鳴して涙がジワ〜〜っと出てきてしまったので、すかさず、わしもblogだ。
そのタイトルは「なつかしすぎて切ない」
日常のアレコレをこなしながら、普通に一日が終わっていく。寝るときに、小さな子供さんが、かつて暮らしていたカリフォルニアの、まるで「大草原の小さな家」を連想させる日々を振り返り「アメリカにいきたいな、行ったらなつかしすぎて切なくなっちゃうかもな」って言うのです。それを読んだとたんにジ〜〜〜〜〜ンときてしまった。わたしもよくコロラドのFrigid Heightsでの暮らしを振り返る。冬はめちゃくちゃ厳しいし、凍った山道を車で行ったり来たりするのはほんとに命がけだったし(実際事故も何度かあったよなー(笑))文句もいっぱいあったけど、そんな辛さをひっくりかえすような特別な美しさがあった。なんといっても特異なのはあの空気の薄さからくる凛と張りつめたアトモスフィアだ。あの空気はいつも神聖で宇宙にとっても近かった。部屋の窓から見える大陸分水嶺は朝も夕もこの世のものとも思えないような色に染まり、雲は近く、不思議なフォーメーションで生き物みたいに動いたっけ。引っ越してきてスグの頃はアスペンの葉っぱが風に揺れる音に慣れず、風が吹く度にどこかに川があるのではという感覚になった。実際に音が聞こえる距離内に川はなかったけど、雪解けの季節にはあちらこちらで小さなせせらぎができて、森の木漏れ日を反射してキラキラきれいだったな。畑をしても花壇を作っても、エルクや鹿にとことん食われ、夏の雪やヒョウでボロボロにされ、夏の終わりに突然来る冬の洗礼、強烈な霜で息の根を絶たれる。そんな中でも野草たちはいつも元気でね。雪の下でじんわりと芽吹きをはじめ、命の爆発ともいえるような勢いで雪解けと同時に成長をはじめ、一斉に花をつける。まるで天国の草原よ。雪解けの時期にはハチドリも移動していた南から戻ってきて、あの元気な鈴の音のような羽音をたてて飛び回り、そうそう、ワンコの太郎は毎日泥だらけで家に飛び込んでくるもんだから、掃除がキリがなかったよなー(笑)その点、ネコたちは汚れがすくなくて助かったりとか(笑)森の中にたてたツリーハウスは子供たちがちょっとずつ手を加えていって、引っ越す直前くらいには、ちょっとした「秘密基地」のようだった。森の南側には長男が友達とせっせとアースロッジを作ってて、この前長男がコロラドに遊びにいったら、その後も友達が建設を続けていて完成間近。(いいのか?もうあそこは他人の土地だぞ(笑))あとは壁にドロを塗るだけになっていて、寒いのにアースロッジ@Frigid Heightsで2泊したとか。(笑)わたしの3人の子供たちは、その多感な時期をあの山で過ごし、成長しながら、たくさんの思い出を作った。
あれ、なんだか思い出話の羅列になってきてしまった(笑)ええと、何を言おうと思ったんだっけ(。_゜)☆\ばき
そうだ、、あの山を離れ、なにかと俗世間にまみれてくらしていると、当時の日常をふと振り返り、まさに「懐かしすぎて切なく」なることがよくあるっちゅー話であった(笑)まだ詳しくは言えないけど、これからこの家族には大きな変化が訪れる予定。子供たちには、やっぱりあのコロラドの山奥暮らしが特別の思い出になるだろうと最近よく思んだが、もし日本に帰国することになれば、今のカーメルでの生活も懐かしくて切なくなるのかもしれないね。そういえば、アフリカから日本に帰国したときも、同じような胸の痛みがあったっけ。またアフリカに戻りたかったけど、同時に、戻ってもわたしが奔放に楽しんだアフリカはもうそこにはないという気持ちもあって...。今の状態もあの時に似てるなーって気付いた。コロラドの山暮らしに無性に戻りたいけど、あそこで暮らした「家族」の姿は二度と戻ることはないんだよね。
今日SNSでメッセージをくださった女性が、カーメルに16年も住み、今はカリフォルニアの別の地にお住まいで「尋常ではないほどのアタッチメントをカーメルに持っている」のだそうです。華やかな地でバリバリと活動してハツラツと生きていらっしゃるRさんにも、思い出すと切なくなってしまうということがあるんだね。
有里さんの記事の終わりのほうに「変化していくことは、切ないけれど 新しく生まれなおしてゆくことでもある。 」というのがあって、切なさに心臓がつぶれそうになりながらも、ジワジワとこの言葉が心に響いてきた。友達のmonicciが毎月のように宝箱のような小包を送ってきてくれるのだが、最近忙しくて前回送ってくれた本を読んでいなかった。昨日、秋休みを利用してコロラドに遊びにいっていた息子を迎えにオークランド近くのアムトラックの駅で待っていたとき(電車が2時間も遅れやがったのでたっぷり時間があった)持ってきた本が、monicciが前回送ってくれた「死ぬことが人生の終わりではない インディアンの生きかた(加藤諦三著)」で、久しぶりにまとまった読書時間にありついたのだが、ページをめくってびっくり。最初の言葉が「変化は必要です。もしあなたが不幸なら、何があなたを幸せにするかゆっくり考え、必要な変化を受け入れなさい」なんだから(笑)なんという見事なシンクロではないか。コロラドの山暮らしで自分はいったい何を見てきたんだろうか。大自然の「変化」を目の当たりにして、変化があるからこそ美しく、変化があるから命は引き継がれるのだというのを忘れたか(笑)「花は来年咲くから今は枯れるのです。変化がなければそれは造花と同じです。(中略)変化とは生きている証です。」
有里さんのblog記事に引き合わせてくれたmさんに、あの記事を書いてくれた有里さんに、それから本を送ってくれたmonicci(←きっとわしがあの本が必要になるのを知ってたな(笑)こにゃろ〜〜〜)、さらなるシンクロで変化の大切さをもう一度心に刻んでくださったRさん、みなさんに感謝しますm(__)m ありがとうっす!
(写真はコロラドのかつての我が家Frigid Heightsの夕焼け)
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